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第十五章:まっしろ


「痛っ……」
 酷い頭痛で目が覚めた。時計の針は午前8時47分を指している。
 いつもの俺なら皆を居間に集め、今日の任務――という名の日課を実行する頃なのだが、どうにも今日は体調がすぐれない。
 多少の嘔吐感に襲われながらも、額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。
 霞んだ視界で天井を見て、それから深く息を吐いた。
 なんだか随分と長い夢を見ていたような気がするし、何かを忘れている気もする。
 しかし考えようとすると脳にプロテクトが掛かっているかのように遮られる。

「皆と居間に居たような気がしたけど……」
 暗闇に目が慣れてきたところで、辺りを見回すと慣れ親しんだ自室。
 窓際に置かれたベッドに俺は横たわっていた。
「やっぱり夢……かっ!?」
 起きようと上体を起こすと、机に置いてあった携帯がバイブレーションと共に大音量で響き渡った。
『プルルルルルッ! プルルルルルッ! プルルルルッ!』
 目覚まし時計の秒針の音しか鳴っていなかった静寂を打ち砕くほどの、けたたましい着信音が鳴り続ける。
「なんだ、電話……? 秋穂さんだ。何かあったのかな」
 ふと、以前に秋穂さんが言っていた言葉を思い出した。
 大音量で着信音が鳴り響く時は緊急事態の合図だから何がなんでも出ろという言葉を。
「もしもし。どうしました?」
「おお! 良かった! 出なかったらどうしようかと思ったよ!」
 電話越しでも分かる秋穂さんの安堵の声色に、大音量の着信音で跳ねた心音が一瞬だけ落ち着いた。
 しかし安心している場合じゃない。何があったのか早く確かめなければならない。
「大音量の時は緊急事態でしょ。どうかしたんですか?」
「そうなんだよ! 大変なんだ!」
「大変、ってなんです……? もしかしてまた俺の性病疑惑とか?」
 嫌な記憶がよみがえる。もうあんな肝を冷やすような思いは勘弁だ。
「違う、違う。最新の報告書が届いたから今からそっちに行こうと思ったんだが――今って何してた?」
「……え、今起きたとこですけど、何ですか急に」
「あぁ、よかった。今日はセックスは控えてくれないか。報告も兼ねて、理由は後で話すよ」
「……はぁ、わかりました」
 なんだか、酷い頭痛がするし『彼女』の言っていた事も気になる。
 今日は素直に秋穂さんの言う事を聞いて、休チン日としよう。
「それじゃ一時間くらいで行くから! いいね! 絶対にセックスだけは――」
「わかってますって。……というか、どんなに急いでも研究所からは二時間近く掛かるでしょ……ってあれ、もう切れてる」
 電子音の鳴り続ける電話から耳を離して、俺はパジャマを脱ぎ捨てた。

 ――それから本当に一時間ほどして血相を変えた秋穂さんが家にやって来た。
 慌てて出てきたのか、靴下の色が左右別の色だった。ひとむかし前の芸人の漫才ネタかよ。
 しかし……それほど慌てる状況って一体。
 生唾をゴクリと飲み込んで、秋穂さんを家へと招き入れた。
「ここで話しましょうか」
 俺の自室の隣に位置する応接間へ秋穂さんを通すことにした。
 ――というのも他人に聞かれては、いけないような気がしたからだ。
 黒い革張りのソファへ、無言で二人、対面で腰掛けると神妙な面持ちをした秋穂さんが口を開いた。
「それでは始めに、報告書の内容を話すとしようか」
 緊張した面持ちで話す秋穂さんに俺も極力、真面目な表情で返す。
「はい……」
「この前、協力してくれた実験のこと覚えているかい?」
 黙って頷く。
 忘れるはずもない。秋穂スペシャルαとかいう怪しげな媚薬を使った実験。
 名前は怪しかったが、あれは他では体験出来ない、いい体験だった。
「その実験でセックスをした子が全員、妊娠してね」
「おお」
「それだけじゃない。その子たちが妊娠して、ちょうど150人」
「つまり……?」
「無事、プログラム達成という訳だよ。いやー本当に、こんな短期間で100人をゆうに越えて妊娠させるとはさすがだよ。僕も鼻が高――」
「秋穂さん! それで、それでセックスを控えてくれないかなんて言ったのは……?」
「やっぱり気になるのはそこか。君らしいけど、嬉しくないのかい? 達成したんだよ」
「そりゃあ嬉しいですよ、もちろん。ただ……」
「ただ?」
「……秋穂さんが、大慌てで電話を掛けてきたのには他の理由があるんですよね?」
 核心へと迫る。プログラムが達成した、と言うだけなら、少し味気ないが電話で伝えてもいいはずだ。あの秋穂さんが、あんなに慌てる理由が見つからない。

「――察しがいいね。実は今日の研究結果で、妊娠女性の人数が160人を越えると、未来的に多子若年化が起こる恐れがあるという結果が出てね」
「多子若年化……?」
 聞き覚えのある単語に言葉が詰まる。確か、未来で俺が殺される原因になった社会問題。
「つまり、現在と逆の現象が起こる可能性があるということだな。それに……報告が遅れていたら大変になっていたところだ」
「大変なこと……ですか?」
 またもや脳裏に浮かんだのはザクロ、いや『彼女』が懸念し、俺に忠告していた言葉だった。
「あ、いや……うん。実は前回の身体検査で君の身体に少し異常が見つかってね」
 全身をうすら寒い風が吹き抜ける。
「えっ、異常ですか?」
「そうなんだ。最近の君は少し高血圧気味でね。原因はおそらくホルモン異常だと思うんだが……」
「ホルモン異常……」
「まぁそういうわけで、セックスを控えてくれないかと言ったんだ」
「もし仮に、控えてなかったら?」
「――大丈夫だとは思うけど、最悪……脳出血を起こして、性交中に突然死ってこともありえたかな」
「セックス中の突然死……痛っ……」
 今朝と同じ頭の痛みが再び俺を襲った。
 何かを思い出せそうで、だけど思い出すことの出来ない、この歯痒さ。
 思い出したいが、仮に思い出せたとしても何か恐ろしい事があったような気がして……怖い。
 きっと、気のせいに違いない。気にしないのが一番だろう。
「ん? 頭痛いのかい?」
 心配そうな表情をした秋穂さんが俺の顔を覗き込んできたが、首を横に振って大丈夫ですと答えた。
 秋穂さんは、ただの物忘れを記憶障害と言って変な薬を飲ませてきそうで怖いからな。
「そうかい? でも無事で良かったよ」
 一転して安心した顔を浮かべると、ふぅっと溜め息を一つ吐き、続けた。
「君への報告が遅れて君が死んでいたら、危うく僕が上層部に粛清されるところだったよ」
 ハッハッハと秋穂さんは豪勢に笑う。こめかみの辺りにうっすらと汗が浮かんでいるのは気のせいだろうか。
「粛清……? って全然笑えないですよ」
「ははは、ごめんごめん。でも結果オーライだよね」
「何が結果オーライですか! もう!」
 かくして俺は多少の記憶の欠如はあるものの、命拾いをし、
 ……無事にプログラムを達成したのである。

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〒 ……もう少し続きます。
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