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第十三章:ザ・フラグ


 駅の方へと戻り、ちょうど来た電車へ2人で乗り込むと、案の定――というか予想通り、周りの視線が俺へ突き刺さった。メイド服を着た少女と冴えない男。誰が見ても怪しいコンビである。
 1時間ほど痛い視線に耐え、駅に着くと雪菜に研究所まで案内された。研究所に入ると白衣を着た人たちに次々と挨拶をされた。しかしそれは俺に向けられたものではなく、全て雪菜へ向けられたもの。
「お久しぶりです、雪菜さん」
「お。雪っちゃん、久しいねぇ」
「雪菜さん、こんにちは。今日はどうしたんですか?」
 ある人は尊敬の意を込めて、ある人は親しみを込めて。
 雪菜は、そのひとりひとりに丁寧に挨拶を返していく。
「すごいな、雪菜。顔が広いんだな」
「別にこれぐらい普通なのだわ」
 感心する俺に彼女はそっけなく答えた。

 そんな中、1人の男が駆け寄り、話しかけてきた。10代後半だろうか、若い黒髪の青年だ。
「雪菜さん、少しお時間よろしいですか?」
 まるで目上の人間に、お伺いを立てるように腰を低くさせ、申し訳なさそうに頭を下げた。
 首からぶら提げたプレートには“研究研修生”と書かれている。
「え、あぁ……ええと……」
 俺を横目でチラりと見て、様子を伺う雪菜。言いたいことは、すぐに分かった。護衛なのだから離れる事は出来ない。そう言いたいのだろう。それを察して笑顔で答える。
「俺はいいから行ってきなよ。研究所内だったら何者かに狙われることもないだろうし」
「申し訳ないのだわ。ちょっと行ってくるのだわ」
 2人が何歩か歩を進めたあと、急に青年が振り返り、こちらへ済まなそうにペコペコと頭を下げた。おそらく雪菜が俺の事を話したのだろう。俺も軽くお辞儀を返し、彼らとは反対側に歩き出した。
「さてと、研究所に来たはいいけど、どうしようかな」
 目的もなく、ただ外に出たついでに、研究所に来た俺は何をしたいだとか全く考えていなかった。
「んー……ミラさん、今日いるのかな?」
 とりあえず、手当たり次第に探せば見つかるだろう。
 そんな気楽な気持ちで空いている研究室を覗いたり、うろうろしていると、背後から話しかけられた。
「あー、君、君。関係者以外は立ち入り禁止だよ」
 突然、肩を掴まれ、反射的にビクッと肩が震える。
 振り返ると白衣を着た背の高い中年男性が、不審者を見るような目で俺を見下ろしていた。
 この目はよく知っている。幾度となく過去に職質をされた時の警察官の目とそっくりなのだ。明らかな疑いの眼差し。怪しい人間だと決め付けている時の目だ。
「白衣もゲストプレートも付けてないけど――何か身分を証明できるものは?」
 自らの首にぶら提げていたプレートを指差し言った。プレートには“発生遺伝研究室・助教”と書かれている。
(プレート? そういえば、さっきの研修生も同じのつけてたな)
「ねぇ、黙ってないで。君、誰なの。警備員呼ぶよ」
 眉間に皺を寄せて、抑えているが声には憤りが混じっている。
 こういう状況は自分は悪くなくとも、何かに焦ってしまうものだ。手元が震える。
「あ、あ、えと……」
 そういえば、ミラさんから研究員用のICカードを貰ったはずだ。
「たっ、確か財布に――」
 あたふたしながら財布を取り出し、顔写真付きの俺の名前とDBL特別技術補佐員と書かれたカードを白衣をきた男に見せた。
「ちゃんと持ってるじゃないか。どれどれ……」
 上体をやや折り曲げ、俺の顔とカードを交互に見つめる。
 すると目を大きく見開かせたかと思うと、額からは汗がじんわりと滲み出てきた。

「た、たたっ、大変失礼いたしましたっ!」
 額の汗を腕で拭いながら、今までだらしなく立っていた彼は、ぴっちりと足を揃え、斜め45度に腰を曲げた。こちらに向けた頭のてっぺんが少し禿げている。苦労しているんだな。
「まさか、あの方だとは知らず。誠に申し訳なく――」
 いきなり敬語になる職員に少し戸惑いを覚えた。
 この正体を明かす前と明かされた後のギャップは、何度体験しても慣れない。
気にしてませんからと言うと、申し訳ありませんともう一度頭を下げた。
「それで、今日は何の御用で足を運ばれたのですか?」
「いや、特に何の用って訳でもないんですけど」
「……それでしたら浜研究員に会っていかれては、いかがですか?」
「浜? あぁ、ミラさん今日いるんですか?」
「はい、こちらから真っ直ぐお進みいただいて、突き当たりを左に行った1964研究室にいらっしゃると思います」
 進行方向に腕を突き出し、ジェスチャー付きで丁寧に説明された。
「ありがとうございます。それでは」
 礼を言い、会釈すると男は頭を深々と下げた。
 突き当たりで、ふと後ろを振り返るとまだ頭を下げていた。
 携帯といい、このカードといい――本当にとんでもないな。

(えっと、1962、1963、1964……あぁ、ここだ)
 1964研究室と書かれたドアの前に立つと、老若男女入り乱れた複数人の声が聞こえた。
(入ってもいいんだよな? ミラさん、いつでも来ていいって言ってたし)
 コンコン、とドアを叩くと「はい、どうぞ」という男の人の声が聞こえた。
(そうだ、カード……)
 さっきみたいに不審者と間違われるのは気分が悪い。何かを言われる前にこれを見せよう。
「失礼しますー」
 部屋に入るのとほぼ同時に、先ほどのカードを目の辺りに掲げた。
「わたくし、こういう者ですが浜研究員はいらっしゃいますか?」
 そこに居たのは、数人の若い女性と中年男性、そして背の低い少年。
 当たり前だが全員が白衣を身に着けている。
(あれ? この真ん中の少年、誰かに似てるな)
「おお! 君、久しぶりだね」
 見知った誰かに似ている少年が気さくに話しかけてきた。
(あれ? 知り合いだったか? 誰だろう)
 失礼に当たらないよう低姿勢で返す。
「あの、どこかでお会いしましたっけ?」
「なにいってるの? ボクだよ、秋穂だよ」
「え? 秋穂さん?」
「そうそう、髪切ったんだよ。髪が長いと女の子に間違われるからさ」
 短くなった前髪の毛先を指でつまみながら溜息をついた。
「君もそうだったでしょ? ボクのこと最初、女の子だと思ってたよね」
 そう問いかけてきた秋穂さんは、少女というより少年――ショタ化していた。

「ところで今日はミラに会いに来たの?」
「ええ、まぁ。で、ミラさんはどこに? ここに居るって聞いたんですけど」
 研究室内を軽く見回したが、それらしい姿は見当たらない。
「残念ながら、ミラはさっき退社したよ。君が来るほんの10分前にね」
「そ、そうですか……」
 なんてこった。久しぶりにミラさんに会えると思ったのに。
 なんだかんだでミラさんと最後に会ったのは、最初にあの家に行った頃、つまりちょうど1週間前。そろそろ会いたかった。
「はぁ……そうか、ミラさん居ないのかぁ……」
 意気消沈している俺に秋穂さんがププッと口端から笑い声を漏らした。
「そんな落ち込まないでよ。あ、そうだ。君、どうせ暇でしょ?」
「ええ。どうせ、暇ですよ」
“どうせ”を強調させ、バカにしてきた秋穂さんを睨みつけた。
「ははっ、ごめんごめん。ちょっと実験に付き合って欲しいんだけどいいかな?」
「実験、ですか?」
「うん。新薬を試したいんだ」
 新薬はその名を指し示す通り、副作用がないか、効果が出るか、世に送り出す前に確かめる前の薬のことだろう。実験というよりは治験と言ったほうがいいかもしれない。
 しかし、秋穂さんの開発した薬だと考えると“人体実験”という言葉が一番しっくりと来た。
「それって、安全なんですよね……? 投与量間違って死ぬなんて事は――」
 大丈夫大丈夫、と明るい声で俺の言葉を遮った。
「塗り薬だから大丈夫だ。それに新薬といってもそんな大したもんじゃない。安心してくれ」
 念を押すように何度も安全性をアピールした。
 まぁ、確かに『君が死ぬ事イコール人類の滅亡だ』などと口をすっぱくして言うほどの人だ。そんな秋穂さんが危ないものを俺に使おうとする訳がない。色々と謎が多い人だけど、そこだけは唯一、信じてもいいと思っている。

「――でも、こんなに研究員がいるのになんで俺が?」
 別に実験に協力するのが嫌だという訳ではない。
「実験なんてしたことのない俺よりも、そこに適任がいるじゃないですか」
 秋穂さんを囲むように立っていた複数に研究員たちに視線を送ると、秋穂さんは首を横に振った。
「男性器に塗布するものだから、君にしかできないんだ」
 なるほど、そういう訳か。人類、動物を含め地球上でペニスがあるのは俺だけ、確かにここにいる人たちじゃ試せない。
「具体的には、その新薬はどういうものなんですか?」
「君にも分かるように説明すると、そうだな――精力媚薬剤とでも思えばいい。より感じやすくするためのものと思ってくれ」
「媚薬、か……ちょっと興味あるな。分かりました、いいですよ。やりましょう」
「君ならそう言ってくれると思ったよ。それでは実験内容を軽く説明するね」
 力強く頷くと、後ろの棚から1つの小瓶を取り出した。
「今回使うのはこの新薬、秋穂スペシャルα」
 ネーミングセンスはアレだが、プラスチックの容器に入っているのは、何の変哲もない透明な液体。
「秋穂スペシャルαはテストステロンに、今まで掛けあわす事のなかった数種類の成分とローションを配合した新薬であり――」
 自分の周りにいる全員に聞こえるような、少し大袈裟な声で話し始めた。
「この新薬を彼の性器に塗布し、男性ホルモンを活発化させ、複数人の女性との連続した性交を行い、性交時の受精率を見るものである」
 ビシッと俺の顔を指差した後、その人差し指をゆっくりと下ろし、股間部へと向けた。
「ん? 複数人?」
「そうだ。この新薬を塗布した後、君には排卵日または排卵日前後の女性らと性交をしてもらう。そして――」
 本当は別の日に実験を行なうつもりだったが、偶然にも俺が訪れ、そして偶然にもその女性たちは今、奥で検査を受けている最中だと続けた。
「つまり、ここで初めて会う女性たちとセックスしろと?」
 話の途中だったが、あまりにも突然のことで驚き、話を中断させた。
「知らない人たちと、話す前にいきなりセックスだなんて……」
 今までは同じ屋根の下で暮らすという状況下においての事だったから普通にセックスをしてこられたが、これじゃまるで、道端で会った人とその場でセックスをするようなものじゃないか。
「不安なのかい? うーん……それじゃ、彼女にも参加してもらおう。雪菜くん」
 後ろを振り返り名前を呼ぶと、入り口で別れたはずの雪菜が白衣姿でカーテンをかきわけ、奥から出てきた。
「彼女にはボクの助手をやってもらう予定だったんだけど、仕方ないな」
「え、え? 雪菜? なんで?」
「雪菜はボクのイトコでね。研究所の職員ではないが、よく実験を手伝ってもらってるんだ」
「いや、そうじゃなくて――って、え? イトコ?」
「うん、イトコだよ。イトコと君がセックスするところなんて、正直あまり見たくないが仕方ないさ」
「俺だって、こんな年端もいかない子供とはさすがに出来ませんよ」
 秋穂さんと並び立った少女を見て、首を横に振る。
 すると今まで黙っていた雪菜が、顔を真っ赤にした頬を膨らませ、お腹の辺りで腕を組んだ。
「ご主人様といえども失礼なのだわ! あたいはご主人様より年上なのだわ!」
「雪菜いいよ、そんな冗談は。君もまだ子供なんだし、秋穂さんの実験なんて手伝うことないんだよ」
 子供を優しく諭すように言い、頭を撫でると秋穂さんが腹を抱えて笑い出した。
「はっはっは、彼女の言ってることは本当だよ。彼女、雪菜くんはチビだけど僕より年う……ぐふっ」
 横から雪菜の腹パンチをくらった秋穂さんがゴホッゴホッと咳き込んだ。
「余計なことは言わなくていいのだわ」
「すみませんでした」
 あの秋穂さんが素直に謝った。会話から察するに彼等は“従姉弟“、見た目は小学生なのに秋穂さんより年上とは、人は見かけによらないものだ。秋穂さんもチビだけど。

「――それで、納得してくれたかい?」
 前屈みになっていた秋穂さんが、お腹を擦りながら涙目でこちらへと身体を向けた。
 彼女に殴られたら痛そうだ、俺も言動には気をつけなければ。
「はい、すみません。話、中断させちゃって。続きお願いします」
「うん、それじゃ話を続けよう。この秋穂スペシャルαは普通の精力剤と大きく違う部分がある。それは局所麻痺剤を配合していないことだ」
「その麻酔剤……が入っていないと、どうだと言うんです?」
「普通の精力剤は、長く持続させるために麻酔剤を配合しているんだが、今回の実験ではそんな必要はない。多く射精することが何より大事だからね」
 なるほどと感心したがそれはつまり、俺に間髪いれずに何回も“イけ”って事だよな。
「君は今までで最高1日で何回射精した?」
 今までの事を思い出してみる。最後にした自慰、そしてセックスでイきまくったのは倉見さんの時。
「自慰だと最高16回ですね。セックスだと8回です」
「それは丸々1日で?」
「いえ、半日――いや数時間だと思います」
「そうだろ? 君自身が一番分かってるとは思うが、君は並外れた精力を持っている。素晴らしい体の持ち主だよ」
 素晴らしい体だと言われて悪い気はしない。しかし、気づかなかったな。1日に何十回も射精する事が普通だと思っていた。他人のオナニーなんて知らないからな。
「つまり、ペニスの有る無しに関係なく、君以外にこの実験をこなせる人間はなかなか居ない。君が適任なんだ」
 拳を固く握りしめ、力説するその様は、さながら演説をする大統領のようだった。

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