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第十三章:ザ・フラグ


“ぐぅ〜”
 土曜の朝、自分の腹から鳴った空腹音で目が覚めた。
 まだ疲労感が残っていて、そのせいか動く気にはなれなかった。
(でも、お腹減ったな……)
 あんなに激しい夜に加えて、結局食べたのが雅の作ったカオスな味のするグラタン1口だけだもんな。そりゃ腹も空く。
 それにしても昨日はいい夜だった。いや、正確には昼から夜にかけてのセックス三昧が、だな。
 3Pが出来なかったのは残念だったけど、姉妹丼なんて滅多に出来ない貴重な体験だし、ひとまずはヨシとしよう。
(まさかとは思うけど、夢オチじゃないよな?)
 ゴロンと身体を横にひねると、隣には2人仲良く寄り添い眠る藍田姉妹が居た。
(あ、雅の寝顔、可愛い……)
 カチッ、カチッと音のする壁掛け時計を見上げる。
 6:30か、だいぶ早い時間だけど今日はやる事があるし、そろそろ起きるかな。
 上体をゆっくりと起こし、なるべく物音を立てないように服を着た。
 昨日の服のままだが、いいだろう。ニオイもそんなにしない。
 2人を起こさないように忍び足で部屋を後にした。

 とりあえず今日が誰の誕生日なのか調べないとだ。ファイルは確かリビングに置いていたはず……。
 部屋を出て、左手にあるキッチンではいつものように由紀さんが料理をしていた。
 美味しそうな香りが鼻をくすぐる。顔を覗き込むようにして声をかけると、これまたいつもと変わらず屈託のない笑顔で挨拶を返し、語尾にご主人様とつけた。
「ちょうど朝ごはんの方、出来ましたので宜しかったら召し上がってください」
「はい、ありがとうございます」
 しかし、ご飯の前にファイルを探さなければ。
 軽く会釈をしてテーブル周り、ソファ、本棚などを見回すが例のファイルは見当たらない。
「あれ、ないなぁ……」
「ご主人様、何かお探しですか?」
 食器を洗い終えた由紀さんが、タオルで濡れた手を拭きながら訊ねてきた。
「それが、これぐらいのファイルなんですが……」
 ジェスチャーでファイルのサイズをあらわすと、「あ、それなら……」とテレビの横にあった鍵つきのブックスタンドへ歩み寄った。
「無造作にテーブルに置いてありましたので、こちらへ収納しておきましたよ」
 由紀さんが差し出したファイルを両手で受け取った。
「あっ、すみません。ありがとうございます」
「勝手に触ってしまい、申し訳ありません。中身は見ておりませんので、ご安心くださいませ」
「いやいや。こちらこそ、すみません。ありがとうございます」
 もう一度お礼を言って頭を下げた。

 個人情報ファイルを無防備に置いてた、なんて秋穂さんに知られたら、またどやされる。
 保管しておいてくれたのが由紀さんで良かった。失礼だけど他の人だったら興味本位で見かねない。
「朝ごはん、いただきます」
 脇にファイルを挟んで会釈をすると由紀さんもお辞儀を返した。
「ごゆっくりと朝のひと時をお過ごしください。それでは私はお掃除がありますので――」
 失礼いたします、と綺麗な角度で頭を下げ、微笑むと2階へ上がっていった。
「由紀さん、いつも大変だなぁ」
 料理に掃除に買い物……1人で家事をこなして、まさにスーパーメイド。
 あれ、1人? 確か、メイドさんは2人いるって聞かされてたけど俺、由紀さんにしか会ったことないな……。
「タイミングが合わないのかな。ま、そのうち会うだろう」

 朝ごはんの野菜たっぷりなサンドイッチを口一杯に頬張りながら、ページをめくって女の子の生年月日欄をひとつづつチェックしていく。
「んぐ……この野菜サンド美味いなぁ……むぐむぐ」
「もぐもぐ……ん、この子だ。ごっくん……おお、睦月ちゃんの誕生日か!」
 隣のページを見るともう1人、誕生日の女性がいた。
「ひとら……まこと……、日虎さんも今日なんだ」
 やっぱり誕生日プレゼント買ったほうがいいよな。せっかく自由に使えるお金があるんだし。
 お金、といっても携帯電話のウェブマネーだけども。
 たまにはこう……女性の誕生日覚えてるぜ! みたいな所、見せないと。
 睦月ちゃんはやっぱり、大人のおもちゃあげたほうが喜びそうだな。
 しかし日虎さんへのプレゼントが全くもって想像がつかない。
 頭を抱えて日虎さんの趣味欄を見るが、“鍛錬”としか書いていない。
「うーん……どうしたものか……」

「何がどうしたものか、なのよ」
 急に背後から声が聞こえた。
 声のした方を振り返ると白のブラウスと黒いスカートを穿いたセレンが居た。
「あんた今日は早起きね。いつもは遅いのに」
「なんだ、セレンか」
「なんだとは何よ。悩んでそうだったから相談に乗ってあげようと思ったのに」
 相談……? そうだ、セレンに聞いたら分かるかもしれない。軽く謝り、話を切り出した。
「あのさ、今日、日虎さんの誕生日でさ。プレゼント買おうと思ってるんだけど、どういうのがいいかな?」
「へぇ〜、あんたにしては気が利くのね。そうね、今まで女の子っぽい事してこなかったって言ってたし、香水とかアクセサリーとかがいいんじゃない?」
「うーん。俺、香水とかアクセとか、そういうのよく分からないからなぁ……」

「よ、よかったら、あたしも買い物に付き合ってあげてもいいわよ」
「え?! ほんとか? それじゃ――」
 いや、待てよ。睦月ちゃんのプレゼント買いに行くのに大人のおもちゃ屋行ったら、睦月ちゃんの性癖がバレるよな……? やっぱり女の子だし、そういうのはバレて欲しくないよな。
 セレンには悪いけど仕方ない、断ろう。
「あ……あぁ、ごめんセレン。やっぱり悪いし、いいよ」
「え? あたし暇だし、別に付き合ってもいいんだけど?」
「いや、あの、その、ほら! ちょっと寄るところもあるし。今日は1人で行くよ」
「ふ、ふーん。まぁ、そういうことならいいわ。それじゃ、お土産よろしくね」
 なにやら不服そうな顔で2階へと踵を返した。

「ん? どうしたんだセレンのやつ。ま、いいか」
 買い物、といってもこの近くに店なんかあるのだろうか。なにしろ、この家に来てから1歩も外に出ていないし分からない。由紀さんはご飯の買出しとかによく行ってみるみたいだし、おそらく近くに店があるのだろう。
 聞いてみるか? いや、家事の邪魔は出来ない。

「そういえば……」
 昨朝に秋穂さんが電話で話していたことを思い出し、ポケットを探ってみた。
 昨日通話を切ってから、ずっとズボンに入れっぱなしだった携帯電話を取り出す。
「携帯のGPS機能が……とか言っていたし、店を探す機能ぐらいあるだろう」

 画面に触れると機械独特の立ち上げ音がした後、英語で3つの文章が表示された。

“GOVERNMENT EXCLUSIVE USE MOBILE PHONE”
“WELCOME MY MASTER”
“PLEASE LANGUAGE SETTINGS”

「ぷりーず、らんぐえーじ、せってぃんぐ?」
 自慢じゃないが英語検定は3級、これぐらいの英語なら分かる。
 どこで入力するのだろうか。画面に触れても選択画面は出ない。
「どこで変えるんだ? そりゃ日本語がいいに決まってるだろ常識的に……」
 独り言を呟くとピピッと電子音が鳴り、画面に別の文字が出た。

“設定完了しました”
“画面に触れてください”

 今度は日本語で表示された。どうやら声で認識できるらしい。さすがは政府専用携帯、高性能。
 あぁでも、これぐらい最新の携帯じゃ当たり前なのだろうか。
 画面に触れると普通の携帯と同じようなメニュー画面が出てきた。
「えっと、検索するにはどうすればいいんだ……お、これかな」
 右下に書かれた“音声検索”という文字に触れると、女性の声でガイダンスが流れた。
『お知りになりたいこと、または目的等をお話しください』
 女性の声、と言ってもよくある機械的な声ではなく、人間の女性の声。
「この声は……きっと美人の声だな」
『ピピッ、認識しました。検索結果を表示します』
「え、あれ、ちょ」
「“美人の声”の検索結果、25,100件です。検索順から音声再生しますか?」
 独り言で検索してしまった。気をつけなければな。
 美人の声、少し聞いてみたい気もするけど今は目的が違う。
「今のキャンセルで。検索を最初から頼む」
『キャンセルしました。検索内容を再度――」
(気を取り直して……)
「ここから一番近い、なるべく大きめな街に行きたい。デパートとかあるような街ね」
 ピピッ、という電子音が鳴った。
『GPS情報を送信します……受信が完了しました』
 1秒もかからないうちに送受信が行なわれたようだ、早いな。

『検索結果を表示します』
 画面には近辺の地図と目標地点までの交通手段が書かれていた。
「予想通り、家の周りには何もないな……ま、こんな田舎だし当然か」
 山々に囲まれた自然豊かな環境、といえば聞こえはいいが、若者にとってはただの田舎でしかない。
「えっとなになに……近くに駅があるな。ふむふむ……」
 虫眼鏡のようなアイコンをタッチして拡大縮小を繰り返す。
 どうやらこの家を右に出て10分くらい歩くと駅があり、そこから1時間ほど電車に乗ったところに大きめの商店街があるらしい。
「思ったより近いな」
 こんだけド田舎だと駅すらなさそうなイメージだが、どうせ無人駅だろうけど。
「んじゃ行くか。持っていくものは……携帯だけでいいか」
 スッと立ち上がり、玄関へと向かったがドアノブに手を掛けて気づいた。
 この場合、“行ってきます”と言うべきなのだろうか。
 まぁ、言ったところでどうということはないが一応言っておくか。
 形式的なものとして。
「……行ってきます」
 人と普段話すぐらいの声量……よりは小さめの声で呟く。
 なにも声を張り上げるくらい出す必要はない。一応、形式的なものとしてなのだから。
「さて行くか」
 ドアノブに手を掛け扉を開けた。

 ――ダダダダッ
「い、行ってらっしゃいませ、ご主人さまぁ!」
 由紀さんが2階から半分辺りまで駆け下りて叫んだ。
 膝に手を当てて息を切らしている。

「あ、行ってきます」
 笑顔で軽く返し、外に出た。
 ドアを背にして空を見上げると太陽の陽射しが目に届く。
「行ってらっしゃい、か……」
 両親が死んでからずっと1人暮らしだったし、“行ってきます”なんて言う機会、ずっとなかった。
 それに“行ってらっしゃい”って言葉も結構いいもんだ。
 次は“おかえりなさい”が聞きたいかな。
「でも由紀さんは、ちょっと地獄耳過ぎるな」
 ふふっ、と一人で不気味に笑い、携帯を頼りに俺は駅を目指して歩き出した。

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